2015年4月27日月曜日

キボコク/人間関係/佐藤主事、初九州シリーズ①

4/27(月)

・今日は「希望を告白する朝」、称してキボコク。朝早く、国会前に行き、この国のこと、為政者のこと、政治に携わっているキリスト者のこと、そして世界の痛み―今日はネパールの地震のこと―を祈った。男三人、小さな集まり。でも、すごく祈りが積まれていることを思う。また来月も祈る。

・そのあとは、一人の学生と「人間関係」ということを一緒に考える。すごくいい時間だった。こうやって学生と一対一で、互いに刺激し合いながら学びと言葉を深めていくことができるのは、主事という働きの醍醐味だろう。僕が教えるのではなく、そのやり取りの中でお互いに気付いていくという、インタラクティブな学びの在り方が、なんたってエキサイティングだ。

・その後、ちょっと空いた時間で一時間ほど静まり、説教の備え。午後からは、OCCで仕事。久しぶりの仕事で、楽しかった。色々な方が見える職場なので、すごく面白い。学生にも、ぜひひょっこり顔を出してほしい。お茶の水クリスチャンセンター、3階事務所である。

・7時から、とある読書会的な会合に参加させていただく。尊敬する先生方が、本気で、本音で、一つのテーマを話し、練り上げていく姿。それだけでもすごく迫力があった。このことについては、ブログには詳しくかけないのが非常に残念だが、素晴らしい時間だった。

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『佐藤主事、初九州!神様のでかさを体験シリーズ①』
・長崎では、Duke神学校が主催している「北東アジア和解のためのクリスチャンフォーラム」というものに参加していた。これは、日本・中国・香港・韓国・アメリカから、神学校の教授や校長・牧師・NPOやNGO、芸術家など計60名ほどが集まり、北東アジアにある痛みの歴史を直視し、そこから今どう歩みだしていくかということを考えるフォーラムだった。

・このフォーラムの最大の恵みは、それが政治的な議論から始まらなかったこと。「福音の中心は和解である」という理解をもって、福音理解の中心に和解を据え、私たちはイエスキリストに救われ、それに似せられていくという歩みをしていくときに、必ず和解という道を通らされる、ということから考え始めていたことが、このフォーラムのすごさだろう。偉そうに政治の話をするのではなく、参加者一人一人が、(普段は強く意識させられ、背負っているだろう)肩書をおろし、一人の人間として、それぞれ向き合い、自分の痛みの歴史を分かち合い、仲良くなり、和解していった。このような本当にローカルな営みだったからこそ、このフォーラムは素晴らしかったのだろうと思う。

・すさまじい大物たちのなかで、最年少、働き初めてまだ2週間という僕は、あまりに場違いで、弱弱しかった。だからこそ、先に書いたようなフォーラムの位置づけは、僕にとってあまりにおいしい話だったし、うれしいことだった。僕と一人の人間として関わってくれる各地のBig Nameたち。本当にかけがえのない経験をしたと思う。

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