・改めて、友達とは何だろうか。友情とは何だろうか。それを考えるとき、僕はいつも『僕』が主役になっている。僕にとっていい友達とは。僕を大切にしてくれる友達とは。僕を受け入れてくれる友達とは。僕が何でも話せる友達とは。僕を慕ってくれる友達とは。僕が追い求めている友達は、『友達』の一部分でしかない気がしてきた。
・友達とは何だろうか。それは、人間関係である。しかも、かなり広汎な人間関係を指している。それは僕が君をどう思っているかという世界と、君が僕をどう思っているかという世界とに分割される、と考えられがちだ。しかし、その考え方は、友達という関係を理解するときに妨げになる。ということに最近気付き始めた。
・君にとって僕がどんな存在であり得るか。この問いは、『友情』という事柄の中心を掴んだ問いであるように思う。僕にとって君が、ではなく、君が僕をどう思うか、でもなく、『君にとって、僕が』という問い。その問いを純化させていく営みが、愛するということなのではないだろうか。
・僕は友達が欲しい。なら、僕が友達になればいい。友達はできるものではないし、作るものでもない。なるものである。ならせていただくもの、と言ってもいいかもしれない。自分本位ではなく、相手本位で考える。その道に、イエス様の歩みを見る。いつも私たちに本当のことを教えてくれるのは、イエス様だ。
・隣人を、自分自身のように愛する。この一言が、全てを包んでいる。神と人とに仕える生き方を、今日も問い続けたい。