2015年10月19日月曜日

励まし励まされ

・今週は特別に忙しい。しかし、メッセージを準備する中で、10月頭に感じていた燃え尽き感が少しずつ解消されていくのを感じる。どんな状況にあっても主は私と共に歩んでくださっており、支え励ましてくださっている。自分がしている働きが、僕の働きではなく主の働きであることを改めて痛感する10月の働きとなっている。

・たくさんの学生と会う中で、自分が学生に励まされていることを思う。KGK主事という働きは本当に不思議で、与える働きのみならず、与えられる、励まされる、ということも働きの大きな部分らしい。そのことになれるのに一定の時間がかかった。しかし、今は、本当に学生に励まされ、同労者の説教に養われ、与えられる者として、その働きを全うしたいと強く思わされている。

・今晩はゴスペル。イエス様をまだ信じていない愛する仲間たちに福音を語る月一回の夜。いつもこのメッセージはどうしても原稿が書けない。今日はマルタとマリアの話から話そうと思っている。たったの10分間だが、僕にとってはとても大きな10分だ。神様の福音が伝わりますように。

・サンマルクのウインナーコーヒーは不思議な味がする。どうでもいいが。

2015年10月14日水曜日

アイデンティティ

・10月もあっという間に半分、明日から後半に入っていく。4月から今までの歩みはすごくゆっくり感じているし、4月なんてもうずっと前のような気がするが、夏を越えたあたりからちょっとずつ体感速度が加速しているように感じる。

・最近ちょっとやる気が出なかったり、そういう時期を味わっていたのだが、少しずつ回復傾向にある。回復のきっかけは、多摩ブロックのメッセージ準備かと。みことばをゆっくりじっくり読む中で、『ああ、本当に神様は生きておられるし、共におられるんだなぁ』と感動し、落ち着いた。

・焦るのは、疲れるのは、自分の手で握りしめているからなのかもしれない。僕はテキトーな人間だから、委ねるということばで怠惰になってしまうし、委ねられてないのに仕事はしないとかってこともできてしまう。神様が一緒にいてくださるってことを覚えながら、ゆっくりひとつずつ働いていきたい。

・学生から社会人へ、という変化も案外大きいかもしれないと最近思っている。学生時代は、いつ学生が終わるかっていう、学生というアイデンティティの有限性を常に自覚させられていた。だからこそ、逆説的だけど、将来のことを真剣に考えたし、タスクベースではなく、アイデンティティベースで、将来を考えて問うてた。でも、社会人になると、アイデンティティの有限性みたいなものを感じる機会がぐっと減る。むしろ、半永久的にアイデンティティが固定化するような感覚のほうが大きい。そうなると、将来のことをリアリティをもって考えられなくなったりする。

・そもそも社会人としての自分のアイデンティティが有限のものということはしっかり胸に留めておきたい。そして本当に永久である永遠の命、救われたものというアイデンティティをもう一度噛み締めたい。

2015年10月7日水曜日

次の一歩はいつ訪れる

・本当に久しぶりのブログ。記事を読み返すと、約一か月か。かけない時期は、かけない。そう割り切って、別にいいやと思うようにしているので、あんまり落ち込んだりはしないけれど、やっぱりこんなにもかけないと、ちょっと残念感はある。

・この数日、今までの人生で味わったことがないような無気力に襲われている。何もする気がおきなかったり、向上心がまるで出てこなかったり。今まで、よりよくなろうという思いが常にあって、それがひとつのエナジーになっていたので、こんなにも推進力がない状態は生まれて初めてかもしれない、というほど。別にどうでもいいとか、面倒くさいとか、そういう思いが非常に強くなっている。

・そういった状態のことを、同期のY主事に分かち合う。彼は非常によくわかってくれる。なんか、こういうときに「とどまろう」と思える交わりが与えられていることは、よくわからないけれど本当に神様の恵みだと思う。一人では決して立ち上がれないとき、交わりが与えられている。交わりがおっくうに感じられたり、交わりから逃げたいと思うことも多々あるが、そういうときこそ、交わりにとどまることが、最後の砦になっていたりするから、丁寧に、諦めずに向き合い続けたい。

・自分の怠惰さ、罪のことなど、深く、深く分かち合う。これからのこともじっくり考え祈る。何も問題は解決していないし、いまだにぬぐえない無力感があるものの、こうした大事な同期の同労者が与えられていることは、素直に感謝したいなと思わされた。何も改善していないけれど、次の一歩がいつ訪れるのか、どのように始まるのかを、ゆっくり思索していきたいと思う。