2016年2月16日火曜日

理想と洞察力

・理想を持つことは、いいことだ。理想を携えて、一歩一歩前に進むことは、活力になる。理想はエネルギーを生む。こうなりたい、あのようになりたい。その強い思いは、人を変え、組織を変える。

・一方で、理想は暴力的になることがある。野放しの理想は、手綱を離した馬のようなもので、どこに走って行くのかわからない。それを制御するエネルギーが必要なのだ。理想はエネルギーを生むが、それと同時に、それを制御するエネルギーもまた必要なのである。

・その理想を操るエネルギーはどこに在り得るだろうか。その一つは「洞察力」であるように思う。現状をよく見て把握する力。自分の置かれている場所をよく見て把握する力。自分がどんな文脈に生きてきて、どこにいて、どこに向かっているのかを考える力。自分がどんな組織の中にいて、どんな人と生きていて、どんなものを任されていて、どんな召しの中に生きているのかを、知る力である。その力は先人への尊敬を生み、破壊的な改革を止める。忍耐を生み、じっと思考する時間を造り出させる。

・僕は今、その「洞察力」を養わねばならない。自分という包括的な人格が、どんな文脈の中に行かされているのかを、よく「洞察」しなければならない。そこに、自分の召しを見出していく。色々な道が開かれ、色々な道が閉ざされる中で、自分がどこにその一歩を進めるのか。僕にはまだまだ、じっと思考する時間が必要なのだと思う。

2016年2月11日木曜日

2月11日

・今日は2月11日。信教の自由を守る日、という呼ばれ方をすることも多い日で、キリスト教界では「信仰と社会」ということを考える日となっている。各地で集会が開かれている中、僕は日本基督教団西東京教区社会部委員会主催の集会にパネラーとして参加してきた。

・日本基督教団のイベントに、KGKの主事として呼ばれるのはとても嬉しいことだった。いわゆる「主流派」と「福音派」という言葉の間にある溝(それぞれのことばの定義すらあいまいなのだが)を意識しながら、よりより距離感で、本当に耳を傾け合い互いに学ぶ関係づくりをしたい、という思いは、この春の長崎での神学フォーラムに参加して以来ずっと持ち続けている思いだったからだ。

・社会から福音を考えるのではなく、福音から社会を考える。その視点を終始意識して語らせていただいた。「信仰の事柄」という言葉は、どのように響いただろうか。自分の言葉で、「人が人として見られない」世界への思いと、またそれを信仰でどう受け取って、歩んでいくかということを語らせていただいた。

・「若者が希望です」と、よく言われる。期待してくださることは本当に喜びであるし、力である。しかし、神様の御国の完成を待ちのぞみ、そのために途上に生きる私たちにとって、本当の希望はこの地上に来る神様の御国であるし、その希望を持つ人全員が希望なのである。老若男女問わず、全ての人が希望であり、当事者なのである。「もう年だから」という悲しいことを言わずに、その凝縮された人生経験を用いて、御国建設事業に前向きに取り組んでいただきたい。そういう意味で、年を取られた方も、希望なのであると強く思った集会であった。

・ここも神の御国なれば、と賛美した。「御国が来ますように」という祈りの力強さと決意を噛みしめた。よい2月11日を過ごすことができた。