2015年4月29日水曜日

久しぶりの/ポタージュ

4/28(火)

・久しぶりの新主事研修。関東地区学生会の組織などを学ぶ。そして、信仰基準について学ぶ。非常に深い学び。長崎で得てきた様々な知見の広がりが、こういうところで唸る。今までの自分だったら向きになって否定していたようなものを、一度受け止め、ストンと落とし込むことができるようになった。これは大きな変化だ。

・夜は同期の友達と中野の担担麺を食べに。めちゃくちゃうまかった。つけ麺スタイルだったが、申し分ない。ポタージュっぽいつけ汁がたまらなかった。なんで麺類ってこんなにおいしいのだろう。

・その彼と、その後はマックでゆっくりいろいろ語る。卒論のことや、大学時代の学びのこと、恋愛のこと、人間関係のこと。たくさんのことを、ありのままで、話し合い、最後に祈る。こういう素朴な交わりが、数えきれないほどあったけれど、その一つ一つが今の僕を作っているんだと痛感する。本当にいい時間だった。

2015年4月27日月曜日

キボコク/人間関係/佐藤主事、初九州シリーズ①

4/27(月)

・今日は「希望を告白する朝」、称してキボコク。朝早く、国会前に行き、この国のこと、為政者のこと、政治に携わっているキリスト者のこと、そして世界の痛み―今日はネパールの地震のこと―を祈った。男三人、小さな集まり。でも、すごく祈りが積まれていることを思う。また来月も祈る。

・そのあとは、一人の学生と「人間関係」ということを一緒に考える。すごくいい時間だった。こうやって学生と一対一で、互いに刺激し合いながら学びと言葉を深めていくことができるのは、主事という働きの醍醐味だろう。僕が教えるのではなく、そのやり取りの中でお互いに気付いていくという、インタラクティブな学びの在り方が、なんたってエキサイティングだ。

・その後、ちょっと空いた時間で一時間ほど静まり、説教の備え。午後からは、OCCで仕事。久しぶりの仕事で、楽しかった。色々な方が見える職場なので、すごく面白い。学生にも、ぜひひょっこり顔を出してほしい。お茶の水クリスチャンセンター、3階事務所である。

・7時から、とある読書会的な会合に参加させていただく。尊敬する先生方が、本気で、本音で、一つのテーマを話し、練り上げていく姿。それだけでもすごく迫力があった。このことについては、ブログには詳しくかけないのが非常に残念だが、素晴らしい時間だった。

***
『佐藤主事、初九州!神様のでかさを体験シリーズ①』
・長崎では、Duke神学校が主催している「北東アジア和解のためのクリスチャンフォーラム」というものに参加していた。これは、日本・中国・香港・韓国・アメリカから、神学校の教授や校長・牧師・NPOやNGO、芸術家など計60名ほどが集まり、北東アジアにある痛みの歴史を直視し、そこから今どう歩みだしていくかということを考えるフォーラムだった。

・このフォーラムの最大の恵みは、それが政治的な議論から始まらなかったこと。「福音の中心は和解である」という理解をもって、福音理解の中心に和解を据え、私たちはイエスキリストに救われ、それに似せられていくという歩みをしていくときに、必ず和解という道を通らされる、ということから考え始めていたことが、このフォーラムのすごさだろう。偉そうに政治の話をするのではなく、参加者一人一人が、(普段は強く意識させられ、背負っているだろう)肩書をおろし、一人の人間として、それぞれ向き合い、自分の痛みの歴史を分かち合い、仲良くなり、和解していった。このような本当にローカルな営みだったからこそ、このフォーラムは素晴らしかったのだろうと思う。

・すさまじい大物たちのなかで、最年少、働き初めてまだ2週間という僕は、あまりに場違いで、弱弱しかった。だからこそ、先に書いたようなフォーラムの位置づけは、僕にとってあまりにおいしい話だったし、うれしいことだった。僕と一人の人間として関わってくれる各地のBig Nameたち。本当にかけがえのない経験をしたと思う。

2015年4月26日日曜日

無事帰ってきました!

4/26(日)

・長崎から帰ってきました!お祈り感謝します。すごい一週間でした。共有したいことたくさんです。今日は疲れていて眠いので、また明日以降、少しずつに分けてフォーラムのことから投稿していきたいと思います。ということで、明日から『佐藤主事、初九州!神様のでかさを体験シリーズ』、乞うご期待!

2015年4月19日日曜日

小田急線ブロック役員会/支える会/激辛カレー

4/18(土)

・バタバタした日だった。昼過ぎまで小田急線ブロック役員会。ミーティング前にはリーダーのMと一緒に分かち合うときを持つ。こうして個人的な関係を築き共に語らうことができるのは本当に恵みだ。

・昼過ぎから場所をOCCに移動、ニュースレターの作成と発送を、支える会幹事の仲間2人と一緒に行った。久しぶりに家族・主事・学生以外の仲間と会い、なんだかほっとする。主事として歩み始めて、どこにいても「主事」という肩書を背負っているような気がしていた。その中で、支える会の交わりは、本当に僕の重く感じているものを下ろさせ、僕の話を聞き、祈り、送り出してくれる。会話の中で、関わりの中で、僕を等身大にしてくれる。背伸びしなくていいんだと、元の姿を思い出させてくれる。交わり自体が僕を支えてくれていることを感じた。互いのために祈ることができたのも幸いだった。

・発送作業も無事終わり、3人で夕飯へ。カレーを食べに行ったのだが、それがすさまじい辛さで、全員汗をかきながら奮闘するはめに。ギャーギャー騒ぎながら食べるカレーも楽しかった。


祖父母宅へ/続く研修

4/16(木)

・この日は午前中に祖父母の家に行った。なに、車で30分ほどの近距離に住んでいるので、訪問はそんなにたいそうなことではないのだが、やはりわざわざ会いに行くことが最近忙しい中で減っているので、そういう意味で、意識して会いに行った。祖父母は僕に会うとすごく喜んでくれる。そして、僕の主事としての働きを応援してくれている。わざわざいばらの道を選んで…と心配そうな目で僕を見るおじいちゃんに、この道こそが素晴らしい道なんだよと語る。

・午後から新主事研修に合流。本当に情報力が多く、なかなか受け止めきれていないのが現状。でも、どれも本当に大事なことだし、主事として生きるときに、すごく大きなもの。まだなかなか言葉にはなっていないけれど、少しずつ、ちゃんと言葉にしていきたい。

・この夜は都内某所の教会に宿泊。関西から来たN主事、東海のY主事を交えて、新主事と夜遅くまで語らう。それぞれの人間性がいったいどのようなものなのか、互いに分析しながら、それぞれの個性を見つけ、言葉にし、受け止めてゆく。本当にパーソナルな関わりがそこにあった。すごく恵みの時だった。


4/17(金)

・翌日も引き続き研修の日。委員会形成と、学校訪問論。委員会形成に関しては、昨日の夜の交わりが聞いていて、本当にパーソナルな深い交わりの中で、どのように委員会・役員会を形成していくのかということを考えることができた。Os主事の学校訪問論は、パッションそのもの。学校を訪問し、祈るということにいのちをかけるその姿が衝撃的だった。「学生が一人もいない学内に行って祈る」という話を聞いたとき、本当に主事という働きが祈りの仕事であることを思った。主事という働きを祈りの働きとする、その一歩目が学校訪問にあるのではないだろうか。

・夜は体調が崩れ、早く寝た。この時期は鼻が壊れたようになる。止まらないくしゃみ。鼻水。アレルギー、怖い。

2015年4月16日木曜日

大惨事/大讃美

4/15(水)

・今日の朝は本当に大惨事だった。新主事の研修が9:00から予定されていたのだが、僕は集合時間を一時間勘違いして起きたことに気付き、大慌てで家を出た。朝ごはんをすっ飛ばして頑張ったので、15分遅れくらいでどうにかなりそうだ、ということで謝罪メールを入れ、御茶ノ水に向かった。そして、KGK事務所について、いつも研修に使っている部屋が閉じていることに気付き、「あれ、変だな」と思いながら事務所に入ると…そこには研修のケの字もなかった。そう、僕は時間のみならず、場所まで勘違いしていたのであった。2分ほど意気消沈し、事務局主事のA主事とT主事に励まされ、再出発。結局1時間10分遅れで研修に参加した。本当に申し訳なかった。こういう大失態は、もう二度としたくない。電車があんなに遅く感じたのは、初めてだ。

・そんなこんなでバタバタしていたが、午後は母校のイースター礼拝でゴスペルを歌いに行く。久しぶりの先生方にもお会いして、「ブログ読んでるよ」なんて言われたりして、ちょっと恥ずかしかったりした。大きな声で賛美して、本当に良い時だった。どんなに疲れていても、どんなに大惨事のあとでも、賛美すると心が感謝に向かうから不思議だ。大好きな賛美の歌詞に、「賛美は力/賛美が力」という歌詞がある。ふむ、「賛美が力」なのだ。この助詞の変化から迫ってくる「賛美=力」感、すさまじい。歌詞を宣言し、告白するのだから、感謝の歌を歌うこと、主は素晴らしいと賛美することが私たちの力になることは、ある意味当然のことかもしれない。

2015年4月15日水曜日

美味しいパン/幸福論/同労者/スルメ

4/14(火)

・今日は午前中は保険や年金関係の手続きに走る。思ったより早く色々終わったので、前から気になっていたカフェでご飯。パンが美味い。こうやって食事とかをモチベーションの一つにするのも、また楽しく働くコツかもしれない。やる気が出た。

・五木寛之の「新・幸福論」を購入。現代の幸福観を「幸福と不幸のあいだの、空白地帯のようなところにふわふわと漂っているのではないか」と見る。非常に示唆に富んだ、興味深い本。現代の幸福観を知ることは、とても重要なことだなと思う。特に青少年がどんな幸福観を持っているのか。興味がある。取り組みたいトピックの一つになりそうだ。

・午後は、まずOg主事との面談。スタバでホワイトモカを飲みつつ、ここまでの働きを振り返り、これからの働きのことを話す。主事になって、今までに増してOg主事のことを本当に魅力的だと思うようになった。僕の賜物を見ようと努力し、それを最大限引き出そうと努力してくださる姿。本当に素晴らしい上司に恵まれたなと心から思う。「同業者ではなく同労者として」精一杯働きたい。燃やされる2時間だった。

・そして夜は小田急線ブロック祈祷会。20人以上が集う。新入生も7名。他のブロックからの応援もあり、すごくいい雰囲気だった。新入生を爆発的に盛り上げて歓迎するでもなく、かといって放置もせず、ヌルッとフォローしていくあの感じ。まさにKGKのフォローアップ。気付いたら仲良くなってた…みたいなことがよく起こる、特有のフォロースタイルだ。歓迎されているという実感がない分最初は物足りなさもあるかもしれないが、一回来た時点でもう「ウチ」の人となり、「家族」となる。そういう気兼ねなく関わり続けられる交わりのあり方が、KGKには染み付いている。物足りなさを感じながらも、ぜひ関わり続けてほしい。ある主事は「KGKはスルメみたいなもの。噛めば噛むほど味が出る。」と言った。最初は「こんな味か…」と、薄味に感じても、物足りなく感じても、噛み続けてほしい。きっと美味しいうまみが、じわじわと染み出してくる。それが、KGKだ。

2015年4月13日月曜日

土曜日/信仰の創始者イエス/春の料理

4/11(土)

・この日は朝7:45からSkypeでアメリカと電話。アメリカにいる神学生が、僕のことを2週間に一度メンタリング(御言葉と祈りの交わりによって、僕の内なる状況に光を当て、サポートすること)をして
くださっている。この数回ずっと「信仰とは何か」シリーズ。律法主義からの解放、福音の再確認。すべての根源が、イエスの十字架にあるということ。自分には救われる根拠が一つもないということ。アロンの歩みから、それを見つめた。非常に恵みの時。

・お昼は久しぶりに休みを取った父を含めて、両親とファミレスへ。高価な料理じゃなかったけど、一緒に食事をすることはすごく励まし。「もう社会人」と大人扱いしてくれるからこそ、こういう時間がとても尊く感じられる。

・午後は、長老教会の中で組んでいるクリスチャンバンドの練習へ。3月は練習休み期だったので、すごく久しぶりな感じ。最近、このバンドの交わりが、すごく良い。3人のメンバー、みんな違う性格だし、そんなにべらべらしゃべらない(僕も)。でも、信頼関係が少しずつできてきたというか、音楽にもまとまりが出てきていて、すごく嬉しい。今度のライブにはみんなを誘いたい。


4/12(日)

・教会学校の担当が中学科男子へと異動になった。中学科男子は生徒は一人。先週信仰告白をしたS君(先日ブログにも書いた。)彼が生まれる前から知っている、そんな彼だ。今まではワークを一緒にやっていたが、今回から、自作のワーク。一緒に聖書研究ができるように、テキスト作りをしている。この日のタイトルは「信じさせてくださるイエス様」。復活ということを、聞いていても信じられなかった弟子が信じる過程、弟子が信じてもなお泣き続けていたマリヤが信じた過程から、イエスご自身が私たちの名前を呼ばれ、信じさせてくださるということに目を向けた。信仰は私たちの頑張りではなく、神様からの賜物なのだ、と。一緒にへブル12:2を開いた。

・そしたら、礼拝説教の中で「信仰は神の賜物」ということが語られ、すごく感動した。「信じるために頑張らなきゃ。」そう思っていたS君の心には、きっと今日御言葉がまっすぐ染み込んだだろう。「信じさせてくださってありがとうございます」という彼の祈りに励まされた日曜日だった。

・夜は久しぶりに料理した。鯛の塩焼きの春キャベツあんかけと、新玉ねぎまるごとスープ。春らしい、おいしい夕食でした。



2015年4月10日金曜日

「語る神」と向き合う一日

4/10(金)

・今日は関東地区主事会の研修→説教研修→主事会セミナーという、黄金の流れ。10時~21時半まで、ずっとKGK事務所にいる一日。必死で語られることに喰いついていった、そんな一日でした。

・関東地区の研修では、改めて「主事」という視点を持つことを励まされる。学生からそのまま主事に、という流れで今がある僕にとって、視点の切り替えというのは一つのテーマ。ビジネスマナーや社会人としてのあるべき姿、礼儀作法などは、「大人扱い」という意味で、主事としての視点を持つことを励ましてくれる。その中で、主事として「いつもイエス様の十字架と復活を見上げていること」というのが最初に語られたことに、僕はすごく感動した。

・説教研修では、「説教とは何か」「説教を語るとはどういうことか」という問いから始まる説教のそもそも論から、実際の説教準備の歩みまでをみっちり。まず、自分自身が御言葉に打たれ、語られ、受けること。自分自身の歩みの中で、御言葉のパワーに浸ること。その大切さが身に染みた。「神が語る」ということの、真実さという意味での「重み」を感じた。僕は聖書を読むとき、どこかであきらめたような、こんなもんだろうというような、不遜な態度でいないだろうかということが問われた。また、その不遜さゆえに、御言葉を読むことから逃げようとする自分の姿があるのではないだろうかと思わされた。ふむ、これはすごく重要なことだ。僕は、「神は語る。そしてそれは必ず成る。」ということを信じて耳を傾けているだろうか。

・そして、極めつけは主事会セミナー。今年「聖書のヒストリオグラフィー」と題して、TCUの菊池先生が担当してくださる。第一回の今日は「旧約聖書の原語①―語る神・応答する人」。説教研修の学びと相まって、本当に「語る神」が迫ってくる学びだった。神が語られるということは、当たり前のことではない。そこには「圧倒的な」力がある。「光よあれ」と言われれば、「光がある」ようになるという、絶対的力を持つ「言葉」。言葉には「質量がある」とおっしゃった、その表現もすごく迫ってくるものがあった。聖書は何かふわふわした、抽象的なことを言っているのではない。具体的で、実際的なことを、動的な、迫ってくる言葉によって伝えてくれるのだ。神の御言葉として、聖書を読む。そのシンプルかつ力強い現実に、しっかり目を向けていきたいと思わされた。

・総じて今日は、「語る神」と向き合う一日であった。

2015年4月9日木曜日

初ブロック祈祷会

4/9(木)

・今日は多摩ブロック祈祷会。とても緊張しながら、でも楽しみにしながら、会場の教会に向かう。新歓などで忙しい中、総勢8名が集まってくれた。内新入生は2名。前もって連絡を取ってくれていた九州地区の子も参加してくれたし、hi-b.a.つながりで来てくれた子もいた。みんなで使徒の1:3-14から、復活のイエスと出会う弟子たちの姿を題材に、「交わりでいること」というテーマで聖研をした。最初は僕のリードも固く、なんとなくフワッとした雰囲気だったが、メンバーひとりひとりがゆっくり、大事に発言してくれ、だんだんと盛り上がっていく。ああ、多摩ブロックの交わりは、こういう交わりなんだということを、しみじみと感じさせてくれる、とってもいい聖研だった。僕自身、新しい気付きを与えられたし、メンバーひとりひとりが御言葉を楽しみながら、神様からのメッセージに耳を傾けている姿が、何よりも励ましだった。みんなで「この交わりで、神様の召しを受け取っていこう」と思えた、何より神様が共におられるということを噛みしめることができた、素敵なブロッキだった。

・多摩ブロックは本当にひとりひとりのキャラが濃い。(ほかのブロックもそうかもしれないけれど。)ご飯を食べながら、聖研のときには見せなかった新しい表情を見せながら、楽しそうに話すみんなの姿を見て、ああ、ここにも神様はおられるんだなあと思った。御言葉に真剣に向き合い、ミラノ風ドリアに真剣に向き合う。ひとつひとつの交わりが、神様も共におられる交わりで、ブロックってすごくいい単位だなと思わされた、そんな今日だった。

2015年4月8日水曜日

「教会史」第一回/主事祈り会

4/8(水)

・今日は10時から通年の研修として開講されている「教会史」の第一回。初代教会の成り立ち、迫害、異端の誕生などを学んだ。特に心に残ったのは、「殉教」というものをどう考えるかというディスカッション。死に急ぐことはないし、生き延びれるなら生き延びるべきだが、信仰告白の問題(棄教か死か)というときに、どうするかということを考えた。棄教をパフォーマンスですればいいということや、いかなる形でも偶像礼拝はできないとか、色々な意見が脳内に浮かんでは消えを繰り返す中で、僕はふと「裏切らない」と豪語し3度裏切ったペテロを思い出した。そして、僕は「裏切らない」とか「殉教する」とか豪語できないし、たとえしたとしても、それはとっても非力なもので、イエス様はそれを知ってすでにとりなし祈ってくださっていることを思った。今は何も宣言できないけれど、自分の宣言には頼れないけれど、イエスが主であると告白し続けるものでありたいと思わされた。

・午後は主事祈り会。主事とGAで近況報告をし、祈り合うときを持つ。各地区のため、世界のため、そして、互いのため。一人10分ほどかけて、じっくり分かち合う時をもつ。人格的な交わりの場だ。この祈りに、学生時代どんなに支えられていただろうかと思う。とても励まされる、素晴らしい時だった。

2015年4月7日火曜日

初めての学校訪問

4/7(火)

・今日は午前中はOCCで働き、午後はC大の新入生歓迎会へ。主事として初めての学校訪問だった。感想は、「むっちゃ楽しい」。新入生が3名、そのうち2名がノンクリスチャンという、すごく嬉しい状況だった。一緒にヨナ書から、「神様の主権」というものを学ぶ。「神様の主体性を感じることはありますか?」という問いに対して、まったく初めてキリスト教に触れた1年生の子が「私がC大に来たのも、神様の主体性ゆえなのかな」というのを聞いて、思わず涙が出そうになった。今日神様と出会ったことが、彼女の人生の中で大きな計画のうちにあったことだと確信して、祈り続けたい。

・雨で寒かったが、こうしていよいよ主事としての働きをスタートできたこと、本当に嬉しい。今日はノートパソコンも届き、いよいよという感じ。9日の多摩ブロック祈祷会に向けて、準備を進める。

2015年4月6日月曜日

人とのつながり/父という生き方

4/6(月)

・今週最初は、N牧師と会うことから始まった。教会開拓中のN牧師。僕に「KGKのことをもっと知りたい」と言って、支える会の幹事で大学同期のMつながりで今日ついに出会うことができた。コミュニティーから教会は始まる。人と人とのつながりを本当に大事にする方だった。「KGKはまさにコミュニティーをベースにした開拓宣教だ!」と感動し、いくらでも支えたいと言ってくださった。確かに、学生が全生活(学び、恋愛、友人、家族関係などなど…)を通して、イェス様の福音を輝かせ、それが証となる…全生活を通しての証というものが、コミュニティーの中で具現化されていくKGKの宣教のあり方は、なるほど、宣教学的にもしっかりとしたものなのだという確信を得た。

・父の帰りが遅い。入学シーズン、さすがに忙しいようだ。よく「父を見ていると牧師にだけは絶対なりたくない」という言葉を聞く。僕の父は牧師ではないけれど、僕も父をこうしてそばでみていて、父と同じ職業には正直なりたくなかった。(ちょっと似た仕事に就いているけれど。)それは、職種に理由があるというよりも、よりそばで見ている父だから、その大変さが他の職業の何倍も迫ってくるというところに理由があるのではないだろうか。どの仕事も、楽な仕事などない。本気で向き合うとき、それは本当に大変な仕事。苦労を伴う。そこで生きようとするなら、自分のためだった大学という学び舎だって、そう、苦労を伴った。ましてや、働き、そこで賃金を得、家族を養い守る責任を背負ったら、どんなにそれは大変なことだろうか。そう、職種ではなく、父が大変なのだ。父という生き方が、大変なのだ。(もちろん、母もである。)

2015年4月5日日曜日

復活の日曜日

4/5(日)
・今日は復活の日曜日、イースター。イェス様が復活された、ということは、イェス様が紛れもなく神であり、イェス様を閉じ込めるような力は死にさえもないということ。一切に勝利して、どこまでも全き存在として、イェス様は復活し、今も生きておられるのです。

・今日は、僕がずっと教会学校で教えていた子が信仰告白し、一緒に聖餐に。その幸せは、なんとも言い難いものだった。彼とはもう別れることがない。共に天の交わりに加えられる、永遠の交わりに。そのことが、彼のまだ声変わりしない声で誓われる誓約一つ一つを通して確信でき、すごく幸せだった。心の底から、おめでとう。

2015年4月4日土曜日

賛美練習から問われるKGK/明日は進級式/(続)聖研作り

4/4(土)
・午前中はとある奏楽奉仕のための賛美練習。新宿で、KGKの先輩方と一緒に賛美する。久しぶりにともに賛美できる喜びはひとしお。すでに社会に出ている先輩たちは特に、その喜びを噛みしめているように見えた。同期が社会に出て、荒波に揉まれている知らせをいたるところで聞きながら、「KGKは生涯運動」という言葉の意味深さを思う。学生時代に、当たり前を思い込んでいることは、実は当たり前ではない。僕自身、襟を正されるような思いだった。主事をしていても当たり前と思ってはならない、交わりで礼拝し、賛美し、祈り合う喜び。来週のブロック祈祷会へ、心が向いてゆく。

・午後は明日に控えた教会学校の進級式のためのプレゼントを買う。文房具が通例となっている。500円という縛りの中でどれだけ高級感のあるプレゼントを買うか、教師の腕が試される。今年もLOFTにお世話になった。喜んでくれるといいなあ。

・帰宅後は、昨日から続けている聖書研究テキスト作り。とりあえず形にはなるも、まだ納得行かず。どうしても誘導尋問というか、自分の持っていきたい方向があまりに全面に出ている。御言葉の深みに誘う設問の立て方を学ぶ必要を感じる。聖書研究のテキスト作り一本でも、すでに苦悩の連続。

研修3日目/ブロック祈祷会に向けて

4/3(金)
・研修3日目。職務規定、卒業生会、ホーリスティックな運動論という3本の学びをする。それぞれに興味深さを感じる一方で、情報量の多さになかなかついてゆけず、自分の中ではまだまったくまとまりきっていない状態。むむー。

・多摩ブロック4月祈祷会に向けた準備。今回のブロック祈祷会では「聖書研究」を行う予定。僕が「ブロック祈祷会をする意味」というテーマに向かっていく聖書研究を作成することに。ブロック祈祷会の要素として①礼拝②祈り合い③交わりという3つがあり、それらがいかに聖書的に根拠づけられているか、また実際のブロック祈祷会において具現化されているか、という点に着目してみる。特に今日は聖書的に「交わり」というものがどのように位置づけられているかという切り口から考察してみる。テキストは一応仮決定。明日実際の聖研テキスト作りに取り組んでみようと思う。

備忘録として。

主事になった。

正確には、
関東地区キリスト者学生会非常勤主事になった。

これから、自分の働きをこまめに記録するという目的で、
また、それを見て祈っていただくという目的で、

このブログを執筆してゆきたいと思う。

ブログを続けることはなかなか難しいと聞く。
あまり気張りすぎず、備忘録として書き留めてゆきたい。


【備忘録】
忘れた時にそなえて、要点をかきとめておくための手帳。メモ。
(岩波 国語辞典 第7版より)