2015年5月30日土曜日

学内活動セミナー

5/29-30(金-土)

・学内活動セミナー。通称学セミ。それは、年二回ある関東地区KGKの1泊キャンプ。春のこの時期の学セミは、新入生が初めて来る泊まりイベント。たった一泊だけど、濃い、内容が詰まったキャンプ。

・今回のテーマは「福音に生きる―交わり―」ということで、「福音」という言葉を握りながら、交わりということを考えた。メッセージはO川主事。コロサイ1章1~8節が開かれ、「交わりは、福音をあらわす器」ということが語られた。主事を初めてまだ2ヶ月だが、色々な学校を回る中で、そこにあるキリスト者の交わりが、本当にイエスキリストの福音をあらわす器なのだということを実感する。そしてそれは祝福の泉であることを思う。「ここまで福音が届きましたよ!」という大事なしるし、証として、交わりはあり、そこからさらに奥へ、遠くへと広がっていく。福音にはそれ自体に力がある。繁茂していく植物のような、脈打つ生命がある。そのことを味わうことができた、素晴らしいメッセージだった。

・2日目は聖書研究。ピリピ2章1~11節を開き、交わりと福音の関係を考える。自分の罪をしっかり噛みしめないと、福音の響きが心で鳴り響かない。根拠は自分ではなく、神様にある。それをしっかりと噛みしめるためにも、まず自分の罪をすこしでもわかるように、祈り続けたいと思わされた。

2015年5月29日金曜日

主事会/多摩ブロッコリー役員会

5/27(水)

・この日は、月に一回の主事会の日。午前の学生訓練計画のシェアから始まり、午後は各委員会報告や、今後のイベントについて、それぞれの必要など。話し合うべきことは多く、忙しく話し合う。しかし、その一つ一つが、学生に届くもの。学生は、僕らにとって生徒やお客さんでは決してない。一人一人が、同労者なのだ。その思いを新たにさせてくれる、そんな月一回の主事会だった。

5/28(木)

・この日は夜に多摩ブロッコリーの役員会。サイゼリヤではなくバーミヤンだというだけで、なんだかテンションが上がる。役員同士の交わりは、どんどん深まっていて、交わりの中で人が成長していくことを本当に感じる時間。理想を持つのと同時に、希望を持って今を見つめることもまた尊いことだと思わされる。頼もしいメンバーだ。6/11の祈祷会が楽しみになる。

2015年5月27日水曜日

S修大訪問/韓国料理/小田急線


5/26(火)

・この日は昼からS修大聖研へ。『一番仲良いやつ来るんすよ』と、ノンクリスチャンのゼミ仲間を紹介してくれたメンバー。彼の救いを願って、祈る。聖研は『心配してはならない』というところ。就活や結婚、お金や課題など、様々な心配を分かち合い、『神の国を求める』生き方とは何かを問う。

・聖研後は、一人のメンバーが、彼のお母さんがやっている韓国料理屋に連れて行ってくれる。着くと、彼のご両親は、僕の教会の牧師とすごく親しい方々だったことが判明。『息子はKGKに行って変わったんですよ』と嬉しそうに語ってくださるお母さんの顔が印象的だった。美味しすぎる韓国料理をたくさん振舞って下さった。

・そのあとは、小田急線ブロック祈祷会へ。証の奉仕をする。人数が多く、若々しい雰囲気が印象的。みんな元気で、楽しそうだ。そして、ちょっと年をとったことを感じる。証の時間も守られた。たくさんの祈りに感謝である。学生と過ごした、いい一日だった。

2015年5月25日月曜日

焼肉/神の家族

5/23-24(土、日)

・土曜の午前中は、全国協議委員会のOBOG会に行く。ちゃんとお話しするのは初めての先輩がいたが、本当に楽しく過ごすことができた。メニューは焼肉(最高)。家族という交わり、特に夫婦という交わりの素晴らしさを垣間見る。その体験は、その日の夜のメッセージにもつながっていった気がする。

・その後五反野に移動し、教団での初めてのみことばの奉仕。エペソから『神の家族』という言葉を軸に、その喜びと召しを確認する。青年一泊キャンプだったが、参加者は30人越え。明らかに僕は緊張していた。

・今回最も強く感じたことは、研修でも言われたことだった。それは、『説教とは、説教者と聴衆の共同作業である。』ということ。神の言葉として聴いた言葉を、神の言葉として語る説教者。それを神の言葉として聴く聴衆。この双方がいて初めて、説教は説教となる。僕の説教を、神の言葉として真剣に聞いてくれる兄弟姉妹。本当に本当に励ましだったし、それ自体が、神の家族という体験となった。

2015年5月23日土曜日

T海大学訪問

5/22(金)

・この日はT海大学訪問。遠いという噂ばかり聞いていて、かなり覚悟していたが、新宿から乗り換えなし1時間で着き、なんだか近いなぁと思うほど。確かに、自宅からは1時間半ほどかかるが、学生はみな通っているわけで、遠いとは言いつつも、僕もたくさん行きたいし行こうと思った。

・リーダーの学生と分かち合いをし、祈る。彼は年上なのでなんだか変な感じ。でも、彼がいることに僕はすごく安心するし、彼がいることは励ましに行こうと思う一つの大きな理由だ。

・教室に行くと、2人の男子学生とドイツ人の顧問の先生がいる。そこで、自己紹介をし、日程を決め、祈り合う。『じゃあ、そこバイト休みにしますよ。』と言ってくれる学生。ここからまた始まるのだ、という気持ちになって、喜びが湧いてきた。

・夕飯も共にする。めっちゃ美味しい。凄まじい分量。お腹も心もいっぱいになる訪問でした。

2015年5月22日金曜日

誕生日/研修/みことばの深み

5/20(水)

・誕生日でした!研修と遅番の誕生日だったが、たくさんの人が祝ってくれた。この地に生を受けていることも当たり前ではないと思う。『生きよ。』と言ってくださる神様がいて、『わたしはあなたの神である。』と言って個人的、人格的に関わりを持ってくださる神様がいるから、生きることには意味がある。生きる意味を問うことを、やめないでいたいと思う今日此の頃。本当に幸せな誕生日だった。

5/21(木)

・3日続いた聖書学の研修が終わり。かなりヘビーだったが、I淵主事の知識と言葉がぎゅーっと凝縮された時間。全身で受け止めた。新約の世界と旧約の世界がすごく立体的に見えてきて、本当にエキサイティングだった。冷たい無機質な方ではなく、暖かく人格的なお方である神様に気付かされた。

・23日にある、教団キャンプのメッセージを整える。言葉が浅い。質感がない。流れが不明瞭で、聖書の言葉が心に残らない。もっともっと、聖書と向き合わなきゃならない。もっとみことばの深みにこぎだしたい。わかりたい。きっと分かりきれない。でも、それでもいい。そんな思いが、疼く。もうすこし、向き合います。







2015年5月19日火曜日

母校へ/協力者の会

5/15(金)

・母校ICUで初めての奉仕。Worship Nightという、毎週金曜日に賛美集会をしている集まりで『賛美とは何か』という学び。コロサイ3:16から、みことばに立って、交わりで、神様に向かって、賛美することの素晴らしさを語る。学生時代、クリスチャンとして本当に養われた場所。ここに、まがりなりにもスピーカーとしてくるようになったんだと思うと、嬉しさと切なさが入り混じった気持ちになる。徹夜で分かち合い、いい時間だった。

5/18(月)

・この日は協力者の会。普段からKGKの働きを覚え、祈り、考え、学生と関わって支えてくださる方々。大嶋主事の発題から、主事の学生訓練のあり方を歴史的に見直す。形や方法は変われど、いつだって主事は本気だ。そして、学生も本当に本気だ。やる気が漲る会だった。

2015年5月14日木曜日

初メッセージ

5/14(木)

・今日はC大訪問。家からモノレール一本で行けるし、C大はアクセスが良い。今日は学生に会い、話し、色々考えた。昼食に食べたカレーがおいしかった。

・夜は多摩ブロッコリー祈祷会。多摩地域の大学の学生が集まって、賛美し、祈り、御言葉を聞く。主事になって初めて、メッセージの奉仕だった。多摩ブロッコリーの今年のテーマは「律法と福音のコントラスト」というもの。今日はそのテーマの意味を一緒に考えるという意味で、ガラテヤ2:16から、私たちは何によって救われるのかということを問い直した。初めてのメッセージですごく緊張したが、こうして、御言葉の奉仕が無事終わって本当に感謝だった。神様がこのメッセージを用いてくださることを祈る。何より、御言葉がみんなの心に残ることを祈る。

2015年5月13日水曜日

D大聖研

5/12(火)

・この日はD大の聖研に。ヤコブ3章を一緒に読む。舌で失敗するよね、考えずに喋っちゃうよね、上からの知恵ってなんだろね、そんなことを、1時間半、みことばから考える。私たちはみな失敗の多いものです。という聖書の言葉に、そうだよなぁと思わされる。設問が少ない分、じっくり、それぞれの言葉に耳を傾ける聖研。それぞれの性格やくせなどを分かち合いながら、最後は具体的にひとつ決断をして、祈り合い。僕は『見栄を張らない』という決意をしました。じんわりと心に沁みこむ、あったかい交わりでした。D大聖研、ホットというより、ウォームです。

2015年5月9日土曜日

礼拝としての地区新歓

5/9(土)

・今日は関東地区の新入生歓迎会だった。正確な数字はわからないが、250名を超す参加者があり。去年も思ったことだが、あれだけの大学生が集まり、一つの御言葉を聞いて各大学に送り出されるということの意味深さを思わされる。様々な学生に会い、彼らと祈り、近況を分かち合う。そして、初めて見る顔ぶれを見つけ、緊張しながら話しかけ、学校を聞き、来てくれたことを喜ぶ。そして、共に遣わされていることを確認する。前々日の説教演習で聞いたことばの一つ一つがよみがえる、よみがえる。新入生歓迎会、侮るなかれ。これは新入生を歓迎すると共に、関東地区全体で、始まるぞ、というスイッチが入る会。新入生、侮るなかれ。彼らはすでに、学校に派遣されている大事なキリストの使節。長崎で聞いた、天正の遣欧使節という、ヨーロッパに送られ、帰ってきて殉教の道をたどったキリスト者の少年たちのことを思う。そう、僕らはキリストの遣学使節なのだ。遣わされているということを確認し、共に一つの御言葉に聞き、共に祈り、学校に送り出されていく。Send Me!と賛美して、送り出されていく。これぞ、KGKだ。KGKの真髄が、新入生歓迎会には詰まっている。そして、それは礼拝の本質なのだ。祝祷によって、派遣されていく。あの交わりから、派遣されていくのだ。明日は新しい週のはじめの日。何よりもまず神様の御前に出て、祈り、賛美し、同じ御言葉を聞いて、遣わされる。あの教会から、あの学校へ、職場へ、友人のもとへ、家族のもとへ、あの人のもとへ。うーん。わくわくする。礼拝が見える、そんな地区新歓でした。

M星大・C大訪問/主事会セミナー

5/8(金)

・まず、M星大訪問。学内にコンタクトを僕が取れている学生がおらず、でもこの大学で祈りの交わりを始めたいと強く思わされている大学。15分ほど、学内のベンチで祈る。たくさんの学生がいるのを見ながら、必ずここにも僕が知らないだけでクリスチャン学生がいると確信する。そして、Facebookで募ってみる。すると、何人もの情報が入ってくる。しかも、昨晩この大学の新入生からC大の学生にコンタクトがあったことが判明。僕が近視眼的に物事を考えているのに対し、神様はどんなに大きな視点で物事を見ておられるのか、畏れと期待に胸がいっぱいになった。

・M星大訪問の足で、そのままC大へ。C大では聖書研究会に参加。新入生のO君も参加していて、すごくいい雰囲気。S君のリードも、みんなが話せるように話題と論点をまとめながらのなかなかなもの。気遣ってお菓子をたくさん買ってきてくれたFちゃんの存在も大きく。久しぶりに、学生として聖研に参加したような気分だった。サマリアの女のところから、この女の渇きはなんだったのか、ということをじっくりみんなで考える。聖書を読む楽しさ、深みを味わった。

・そのあとはOCCで仕事をし、夜は主事会セミナー。前回の学びがエキサイティングだったので、この一か月待ちに待っていた。今回はサルでもわかるヘブライ語ということで、ヘブライ語の読みを中心に学んだ。本当に素晴らしい学びだった。特に、創世記1:1をヘブライ語で読めた感動はなかなか忘れられない。創世記1:1の「神」という言葉が複数形であるのに対し、「創造した」という動詞が単数形であるということから、三位一体の神様が浮かび上がってきたり、「創造した」という動詞が神様にのみ用いられる言葉であるということから、創造者と被造物の圧倒的な違いを痛感し、被造物である私たちは神になりえないことを感じたり。聖書の原文から、言語から迫り立ってくる神様の性質、福音の力を体感した2時間だった。本当に素晴らしい学びだった。

・今日5/9は関東地区の新入生歓迎会。初めてKGKに来る人が一番多いイベント。「もてなす」ものとして、初めて会う一人一人を愛する一日になりますように。行ってきます。

2015年5月7日木曜日

GW振り返り/説教演習

5/7(木)

・投稿が完全に滞ってしまったが、まあGWということで。佐藤のGWはざっと以下の通り。1日には完全静思の時を持ち(すごくいいカフェを見つけた)、家族で食事へ。2日はメンタリングとバンド活動。3日は教会で、4日は日比谷公会堂でゴスペルコンサート。マーサ・ムニッジという大物シンガーが来て、大きなフェローシップになった。北海道から九州まで、日本各地のゴスペルクワイアが参加し、大迫力だった。そして、5日はOCCで仕事のあと、大学の友人とスタジオで遊び、焼き肉へ。そして6日は奏楽練習。あと、母が体調を崩しているので夕飯も作ることに。母の存在の大きさを感じる今日この頃だ。

・そんなこんなで、それなりにプライベートの時間もあったGWだったが、その裏では教団の青年全国集会が開かれていて、それに参加できなかったのは本当に残念だった。こんな感じで、それなりにこまごまと用事がかなり前から入っていたので、参加できなかったのだが、やはり、教団の青年たちとの交わりは欠かせないし、今回いけなかったのはとても悔しい。テーマソングを作ったのだが、その録音がプログラムスタッフの方から送られてきて、それを家で聞きながら、思わず泣きそうになった。

・また、今日5/7は説教演習の日だった。「派遣意識」というテーマで、説教を用意し、それを発表し、批評していただくというもの。僕は使徒の働き1:3-14から、イエス様の昇天と弟子たちの派遣ということで、「わたしの証人になります」という題で説教を作った。これがGWのそれぞれの予定の合間にびっちり隙間を埋めるように入っていたので、休んだ感じがあまりしない。

・その説教演習は、本当によい学びのときだった。多くの主事や先生方がおられる中で、初めて説教として、御言葉を語った。フィードバックは決して生優しいものではなかったけれども、愛のこもった人格的なものだった。一つ気付いたことは、説教では、僕の神様理解や福音理解、聖書理解がもろに出るということ。そして僕の姿がさらけ出されて、弱さや欠点が浮き彫りになるということだ。そういう意味で、説教はすごく恐ろしい営みだ。自分の弱さが露呈する、神様の前でただただ自分の欠けが浮き彫りになる行為だから。でも、その僕を愛をもって受け止め、成長する歩みをするために、ともに祈り語ってくださる「同労者」の方々がいることは、本当に励ましだった。人格的な、よい学びのときだった。

2015年5月1日金曜日

あさんぽ/読書会/多摩ブロッコリー役員会

4月29日(水)

・祝日。なんだか久しぶりな気がする。午前OFFからのOCCで夜まで仕事。午前は朝ゆっくり河川敷を散歩し、聖書を読む。この朝散歩はなかなかいい。さわやかだし、体が起きる。問題は、夜眠くなるのが早いこと。でも、それもまたいいことなのかもしれない。少しずつ習慣化していきたい。

・この日は一気にメッセージを一本書き上げた。どうしても長くなってしまう。けれど、生まれて初めて、何時間もかけて聖書を読み、御言葉と向き合い、祈って書いた説教だ。これからこの言葉がどんなに不十分で、足りなくて、またプライドと罪にまみれているのかを知っていくのだろうけれど、それでも、神様から受けた恵みをこうして言葉にして、語ることが許されているということの凄味を味わっている。このメッセージは14日に多摩ブロッコリーでするもの。これを後2週間で少しずつ整えていきたい。

・夜は親友と読書会。上沼昌雄「闇を住処とする私、やみを隠れ家とする神」を読む。言葉にならない感情を、言葉で片付けようとしている自分に気付く。言葉になる手前に渦巻く複雑でぬるぬるした気持ち悪い感情があることを互いに認める。そして、それをそのままにすることを共に選ぶ。お互い罪人で、どうしようもない存在だってことをわかりながら、どこかでそれを必死で否定している自分がいる。それは見苦しいことだけど、それを見苦しく見せない技もどこかで得ているお互いだからこそ、一枚、また一枚と裸の自分を覆っているいちぢくの葉をはがしていく練習をする。裸の存在は怖い。けれども、そこに神様が触れるとき、本当に癒される。その体験を、少しずつしていきたいと思わされた。


4月30日(木)

・朝からOCCで仕事。この日は委員会に出たりすることもあり、あっという間に仕事の時間が終わった。ひとつひとつの仕事がすごく意義深く、楽しく思える。

・夜は多摩ブロッコリーの役員会。様々なメンツ、豊かな個性。でも、彼らはひとりひとり本当に「いい」。キリストの体として、互いに仕えることができること、本当にうれしい。まずは5月の新入生歓迎会、そしてブロック祈祷会。丁寧に準備を重ねよう。