2016年4月20日水曜日

あるから

・九州の地震のニュースを見る。いてもたってもいられなくなる。まず現地に行かねばと思わせる、熱く迫ってくるものがある。と同時に、行っても役に立たない、邪魔になるだけだという冷静な自分もそこにいる。この揺らぎ、心の締め付けられるような感覚が、ずっとある日々だ。

・僕ができることは一体なんなのだろうと自問する。自分はどうしてこんなにも迫られているのかと、呼吸が苦しくなるほど想うのかと、自問する。自問し続けるうちに、そこには完全にピュアだとは言い切れない自己顕示欲や、無関心だと思われたくないという苦々しい自己嫌悪が、不気味に静かに、しかし確かにあることに気付かされていく。僕を駆り立てる衝動のような思いに、平安がないのはそういうことか。

・いいことをすることと、本当に「いい」ということは、似て非なるものである。そして、こういう時、まるで攻め立てられているような感覚に陥らせるものが、SNSやネットにはあふれているように思う。誰も悪くない、しかし確実に蝕まれている心があるように思う。少なくとも僕の心は疲弊している。こんなときだからこそ、僕は考えたい。今僕はどこにいるのか。

・目の前にあることを、精一杯。月並みなことだ。そして今のところ僕は消去法でしかここにたどりつくことができなかった。なんとも無念。惨めである。しかし、目の前に確かに「ある」ものが「ある」から、僕は明日も家を出かけ、言葉を語り、人の話を聞く。明日も生きるつもりだ。何かに追われているような、そんなジメッとした感覚を背中に感じながら。

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