2016年1月14日木曜日

祈りについて

・祈り、ということを最近考えさせられている。僕は、今まであまりに祈ってこなかったのではないか。

・祈るには、時間を確保する必要がある。もちろん、歩きながら、信号待ちをしながら、電車に揺られながら、祈ることもできる。しかし、僕はそういう時間、たいてい何か考え事をしているか、心配事をしているかだ。その、いわば「隙間時間」を祈りで埋めていくには、まず大きな時間をしっかり「祈りのために」割き、祈る喜び、祈る醍醐味を味わう必要があると思うのだ。

・僕が最近祈る時に意識しているのは、時間をしっかり確保することと、具体的に祈ることだ。特に、人のために祈る時は、その名前を挙げて、具体的なその人の必要を脳みその限りで考えてる。これはすごく良くて、その恵みはまず自分に返ってくる。

・というのは、誰かのために祈っていたとしても、祈りは僕と神様の関係性の中で起こっていることだからだ。例えばそれは、僕が父親と、僕の親友について話をするようなものだ。それは勿論親友のことを思う時間だし、親友を愛する時間だけれど、その時間を通して僕は父ともまた親密になる。父に今まで話していなかったことを話すことになる。父が僕について、もっと知ってくれる。僕はそこで、親友とより深く愛し合うと同時に、父との愛し合う関係も深めることになるのである。

・改めて、祈りは大切である。それは神様との愛し合う関係を深め、僕たちの周りにいる祈られるべき人々との愛し合う関係をも深めてくれる。そして、祈られるべきでない人など、僕の周りにはひとりもいないのだ。

・具体的に、彼らのことを祈る。一人の部屋で、静まって、「神様。」と呼びかける。見えないけれど、そこに間違いなく神様がいてくださることを確信させられてゆく。僕の場合、このプロセスだけで5分は必要だ。神様が、いる。間違いなく、いる。そのことを確信させられてから祈り始めるとき、僕は今までになかったような平安の中で、祈りをささげることができる。

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