2015年11月11日水曜日

人を信じる

・人を信じる、とはどういうことだろうか。

・人は人と生きている。人はひとりでは生きていけない。これは本当にその通り。僕自身、本当にそれを痛感している。創世記で『地を従えよ』と命じられている人だが、地のすべてをひとりで従え、管理するのは不可能だ。知らない地、わからない地がある。例えば人を『地』と見たって、単純だ。世界中の人と会えるわけではない。とすれば、本当に交わりで地を従える必要を感ずる。僕には届かない地がある。そこに届く人がいる。僕はその人と共に、地のすべてを従えていくのだ。

・その時に、その人のことを僕がどのくらい信じることができるか、という問いが心に浮かぶ。僕には届かない地に、その人が届く。そのことを、どのくらい僕は喜べるだろうか。自分では届かない地なのだ、ともすれば敗北感や劣等感も湧くだろう。そこで、他のすべてを従えよ、という命令が、民全体で受け取り遂行すべきことであることを、心で覚え、噛み締めていられるか。それが、その人への信頼という形で試される。

・人は究極的には信頼できない、という部分は否めない。最終的に、僕たちが信頼できるのは神様のみなのだと思う。神様がその人を共に働く交わりの一員として、私の眼の前に備えてくれたと信じて、共に働くことが、その人を信じるということなのかもしれない。


0 件のコメント:

コメントを投稿