2016年2月11日木曜日

2月11日

・今日は2月11日。信教の自由を守る日、という呼ばれ方をすることも多い日で、キリスト教界では「信仰と社会」ということを考える日となっている。各地で集会が開かれている中、僕は日本基督教団西東京教区社会部委員会主催の集会にパネラーとして参加してきた。

・日本基督教団のイベントに、KGKの主事として呼ばれるのはとても嬉しいことだった。いわゆる「主流派」と「福音派」という言葉の間にある溝(それぞれのことばの定義すらあいまいなのだが)を意識しながら、よりより距離感で、本当に耳を傾け合い互いに学ぶ関係づくりをしたい、という思いは、この春の長崎での神学フォーラムに参加して以来ずっと持ち続けている思いだったからだ。

・社会から福音を考えるのではなく、福音から社会を考える。その視点を終始意識して語らせていただいた。「信仰の事柄」という言葉は、どのように響いただろうか。自分の言葉で、「人が人として見られない」世界への思いと、またそれを信仰でどう受け取って、歩んでいくかということを語らせていただいた。

・「若者が希望です」と、よく言われる。期待してくださることは本当に喜びであるし、力である。しかし、神様の御国の完成を待ちのぞみ、そのために途上に生きる私たちにとって、本当の希望はこの地上に来る神様の御国であるし、その希望を持つ人全員が希望なのである。老若男女問わず、全ての人が希望であり、当事者なのである。「もう年だから」という悲しいことを言わずに、その凝縮された人生経験を用いて、御国建設事業に前向きに取り組んでいただきたい。そういう意味で、年を取られた方も、希望なのであると強く思った集会であった。

・ここも神の御国なれば、と賛美した。「御国が来ますように」という祈りの力強さと決意を噛みしめた。よい2月11日を過ごすことができた。

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