2016年10月12日水曜日

止まる筆

・また、久しく筆が止まってしまった。ただ、それは決してただの悪いことではなかったように感じている。というのも、僕が日常的に書くものとして、①三行日記②感謝ノート③思索ノート④ブログ(これ)という4種類があるが、その前者2つがしっかり書けているときは比較的健康な時で、後者2つの筆が止まらないときは何かしらに苦しんでいるときことが多いからだ。このブログの筆が止まってしまった間、僕は間違いなく日常を走り抜けていたし、筋肉痛になるほど笑ったし、怒られるほどはしゃいだ。主事としての歩みを一つ一つ噛みしめながら、奥歯でゆっくり強靭に噛みしめながら歩いた。だから、きっと、思索は深まり分かち合いたいことはゆっくりしかも着実に降り積もっていったけれども、パソコンに向かってカチャカチャと語り込む時間はなかったわけだ。それは決してただの悪いことではなかった。と思う。

・久しぶりに、口で後悔した。言わなくてよかったなあと思うことを言い、あんな言い方しなくてよかったなあと思うような言葉を選んでしまった。この後悔―関係各所に頭を下げに奔走したくて仕方なくなるような―は、わりかし久しぶりで、戸惑っている。こんな時、どんなことが誠実を尽くすことになるのか、いや、どんな「類の」誠実を尽くせばいいのか、途方に暮れてしまう。すべて、一点の曇りもなく、自分の身から出た錆だ。

・こんな後悔に、じっと耐え抜くとき、僕は試される。動くか、動くまいか。なんのために動くのかが揺さぶられる。「使命は感情によって揺さぶられるが、使命から生まれる感情は大切にされるべきである。」僕のこの感情は、不気味に僕の心の中心を浮遊している。

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